わが北鎌尾根、剱岳よ おちこちの山 楽山社
北鎌分裂症行進曲
原田 祥子
再挑戦の今回の北鎌登山、準備の段階でポツリと生まれた”登れ
ないかも知れない”という不安、は短時間に”登りたくない”とい
う心境に変化して深刻でした。
でも、どうしてもあきらめきれないで出発、モンモンと歩いて、
この心のアリ地獄からはい上がったのは天上沢のテントの夜でした。
五人のパーティーの皆さまへの深い感謝をこめて、この生涯の縦
走の想い出を残したいと思います。
発 症
今度も坪山さんのパーティーに加えていただいて登るのだけど、
去年十月、突然始まった家の建築計画から続く引越後のゴタゴタま
での極度の疲労の蓄積が気になる。よけいに疲れるような気がして
トレーニングもしなかった。
”この機会を逃したら、北鎌に行ける時はもうないだろう。
まぁ、命が惜しけりゃ、何とか頑張って行きぬくしかジトジトな
いジトー、やっぱりやめるべきか・・・”
と、考えていると
”エーイ、メメしい奴メ!”
ツェルト買っちまったのが、何より行きたがってる証拠じゃない
か。おまえは昔、半分男に足つっこんでるってハッケ見に言われた
んだろ。いつまで迷ってるんだ。速くパッキングやっちまえ!”
と、私の中のも一人が叫ぶ。メメしい方はかくれてしまう。
出発までの毎日がこんな心の葛藤だった。
八月二十六日
出発の日が来た。
列車が動きだして、もうこれで迷うこともないと思ったら、とた
んにまたまたメメしい奴が出て来て、今度は祈りだした。どうぞ晴
嵐荘で悪天候になりますようにとか、日数切れになって、ビンボー
沢あたりから退散できますようにとか祈っている。
走っている列車の中で、まだ登らないですむ方法を考えている私
−−もう、どうしようもなく、今の自分にふさわしい病名は何だろ
うと考えてみた。”北鎌性心身分裂症”というのはぴったりだった。
考えてみると、剱の北方稜線もすごかった。私は密かに”神々の
庭”と名付けて憧がれていた。私の行けるような所とは思っていな
かったので不安は大きかったけど、最高のコンディションの時につ
れて行っていただいた。一方、今回の北鎌はキョーリューの背中を
思わせる岩稜の連続。
大自然に入ったら蟻一匹にも等しい自分の一歩一歩で延延と積み
重ねて、その岩尾根を槍ガ岳に辿り着く。しかも、その前には天上
沢という、おありがたいおまけまでついている大縦走だ。命に関す
る一片の恐怖も持たないで入れる山域ではない。
一年近く山から離れていた私に、そんな縦走ができるかしら・・。
家を出る前、私は天上沢のテントの時点で最終決断をして、登れ
ないと思ったら一人でビンボー沢からエスケープさせていただくよ
うお願いしようと思っていた。そこからなら一人でも帰れる。
自分勝手な甘い考えだけど、そうとでも考えなかったら、やめる
事も出発する事もできなかった。
でも、今まで体力のないこの私でも、最後は好奇心でよじ登って、
あちこちの素晴らしい景色を眺めて来たんだもの、北鎌も歩いてみ
たい、天上沢もどんな所か行ってみたい。
”行けるだろうか・・行けるかどうか判らない”いつまでたって
もこの繰り返しで、遂に七倉山荘に着いた。
夜行に弱いので、登山の前日は、いつも私は山裾の宿に泊ること
にしている。宿に着いてまわりを散歩したり、あすからの山旅を想
う楽しさは私の登山計画から省くことはできない。でも、今回は何
をしても楽しめず、パーティーの方がたに悪いと思いながらも、空
ばかり気にしていた。
夕方近く、何と言うか、ツマリソノー、待望の雨が降って来た。
私は電話に走った。リーダーに、
「こちらは今雨が降ってます。雨の音が聞こえませんか?
今日列車から見た山の稜線は、墨絵の中にあるようでした。あま
り天気は期待できないと思います」
と、言って、ちょっと気が咎めた。
北鎌へ北鎌へとはやる心で、夜行に乗って来られる皆さんの事を
考えて、
「でも、北鎌に登る日は何とか天気になりそうですけど・・」
と、小さい声でつけ加えておいた。
あゝ、私は何という人間だろう。分裂症と自己嫌悪でますます訳
が解らなくなって行った。
八月二十七日 分裂症健在!
指定された場所で待つ。分裂症は健在だ。坪山さん達は遂に現れ
た。恐れていた瞬間だった。五人の笑顔には迫力があった。
坪山さん御夫妻、篠宮さん、相田さんとは山をご一緒させていた
だくのはこれで三回目。ふだんは東京、大阪と離れているのに、会
えばそんな気がしない。いつもあたたかく迎えてくださるし、私も
スッポリ仲間に入ってしまう。
そして、今回の篠宮さんの息子さんの雪来君が初参加。
彼とは目と目で初対面の挨拶をした瞬間、気が合うことが判った。
今に爽やかな好青年になる少年だ。
五人は恐ろしく意欲満々。私もとりあえず晴嵐荘の売店あたりを
目ざして、意欲満々で出発した。
”この空だから、どうせあそこでビール飲んでるうちに雨が降っ
て来て、今日は晴嵐荘泊りだろう。皆さんには悪いけど、なにも私
が雨を降らすわけではないのだから”
と、うしろめいたい気持ちに確信を持って歩いた。
長いトンネルは終った。休憩。
ザックの重さを比べると私のが一番重かった。今日中にへらして
しまう食糧をのけて10キロある。
その時、篠宮さんが私のザックからツェルトと食糧を、坪山さん
がウィスキー入りの水筒を抜いてくださった。
本当に申し訳なく、ありがたかった。私が北鎌のような所を縦走
できたのは、こうして助けていただいたからこそであった。
妖精の世界
さあ、出発。
いよいよ、大自然への旅は始まった。
歩き出したとたん、ザックが軽くなったので、まわりの景色まで
輝やいて見えた。楽しい山旅に荷物を重くしてしまって悪いと思い
ながらも、私はだんだん幸せな気分になって行った。
思わぬ所に小屋があった。
中を覗くと、きれいな四畳半位の避難小屋で、ストーブとマキま
で置いてある。
この「無名小屋」を過ぎて、しばらくして、「ここは気分のいい
所ですネ」と、うしろの篠宮さんがおっしゃった。見ると、そこは
まばらな背の高い木立の疎林だった。
日だまりの中にさまざまな種類の草が生えていて、梢たちは私に
は聴こえない楽を奏でていた。私は感動のため息をついたことを覚
えている。そして縦走はできるかも知れないと、この時ふと思った。
それは一種のヒラメキであった。
前の四人は残念ながら、この妖精の世界には気がつかないで、北
鎌方面目指ざしてすっとんで行ってしまわれた。
やがてパーティーは、まき道から高瀬川に下りて行った。
石ばかりの広い川原には、岩にもたれてのんびり休んでいる人が
いる。登る人だろうか、下る人だろうか・。
私達はその二人を遠くに見ながら再び山道に入った。短かい登り
のあと、矢印のため増水時避難道に迷い込んだ。でも、すぐ気がつ
いて引き返して20分程でつり橋に着いた。
川原の向うにひっそりと私の今日の目的地、晴嵐荘が建っている。
リュックを下ろして、「寄って行きますか、それともこのまま行っ
ちゃいますか」
と、坪山さんがおっしゃった。
私は驚いた。
”このまま行っちゃいますかですって、話がちがいます坪山さん!
あそこでビールを飲んでるうちに雨が降って来るはずなんです。”
と、心の中で必死に訴えているのに、誰も何とも言ってくださら
ない。仕方がないから自分で言った。
「寄って行きましょ」
と。
つり橋を渡った。山荘に客はなく、そこには私達がもう、とっく
の昔に失ってしまった静かな時が流れていた。30分程ビールを飲み
ながら休憩した。私には今にも降りそうな空に見えたのに、遂に雨
はポツリとも来なかった。
うらめしい気持ちで出発。
水俣川にさしかかった。
この流れの上流は天上沢となっていて、ずっと北鎌尾根の谷に続
いている。今日はそこでテントを張る予定。私達は左岸の高まき道
を行った。
一時間余り歩いただろうか、もうぼつぼつ、さっき下って行った
人が教えてくれた、例のつり橋が出て来るはずだと思って歩くうち、
遂に現れた。
それは、あやうく両岸にしがみついて、今にも墜ちそうな恰好で
ぶら下がっている長さ50メートル程のつり橋だった。
一瞬、ギョッとした。でも私はホンライこのような橋が大好き人
間で、
”ウヒヒ、フヒヒ ギャハ! 板がヌケソーダゾヨ、オチタラドー
ナル・・アリャ〜! ユラリユラユラ 詰めはツルツル板の登りと
なってるの・・ズイブンアレコレト・・アヨイショ”
と、対岸に着陸。
ヤレヤレ、これだから山はやめられないのョ。ダイタイ ワタシ
ノ ノーミソ シビレテキタ。もはや、まわりの人も正常じゃない
はずだと思ってチラと見る。ザンネン! みな正常。狂い始めたの
は私だけだった。
”天上沢靴流の珍”
出発。
今度は右岸をまいた。
今想えば、あれが千丈沢であったのか。右から飛沫を上げながら、
盛り上るような、ものすごい勢で流れ込む沢があった。あの清らか
な、そして凄烈な迫力は未だに印象に残っている。
千天出合で、いよいよ天上沢となった。
その美しい名ゆえに地図上で私の想像をかきたてて来たこの沢は、
大天井岳と北鎌尾根の間の谷に、岩ばしり、時に又、山すそいっぱ
いに広がって豊かに流れていた。
沢にそって行くと渡渉地点に来た。
幅3メートル。流れは急。どうして渡ろうかと眺めていると、篠
宮さんは落ちていた棒を拾ってバランスをとりながら、アッという
間に細い丸太を渡ってしまわれた。そして、”ミタカヤ、コノスル
ドイワタリヲ”
と、いうようにニヤニヤしていらっしゃる。ちょっとくやしいけ
ど私は坪山夫人に続いて水に入った。
あゝ、その冷たさ!
沢のまん中あたりで突然左胸が痛みだして、ギュ〜ッと心臓がち
ぢむのが判った。
”イタタ イテテ、アーヒーウヒャ〜ッ!”
と、もうたまらず岸に飛び上がった。
ひざ下の渡渉なのにそれ以上、一秒も長くつかっておれない痛み
であった。
皆渡り終えたのに、雪来君はこの時まだ向うにいた。そしてやっ
と渡り始めた彼を、私は靴をはきながら見ていた。
沢の中ほどまで来た時、彼は肩からぶら下げていた靴を、ナント、
ポトンと落としてしまった!
その瞬間、私は10メートル程とび上がるところだった。靴はいっ
たん沈んで浮き上がり、流れにもまれながら岩を越えた。それから
先は死角になって見えなくなった。
私達は全員化石となっていた。
靴はもう流れ下ったに違いない。こうなったら靴下や中敷を出し
合って、雪来君にはいてもらって晴嵐荘に戻るしかない、と私は考
えていた。そしたら、”ソヤソヤ、大賛成ヤ”
と、言う声がする。
”誰だ、出て来い。ヤヤッおまえは分裂症のバケモノ! まだ生
きておったのかッ”
”死んでへんワ、ちゃんとついて来たワ”
と、まさにこの時、坪山夫人がスニーカーを出された。
”どうせスニーカーでも今日は晴嵐荘泊りやネ。メデタシメデタ
シ”
”何がメデタシじゃ、フラチモノメ。おまえはヒルかスッポンか”
と、突然よみがえった分裂症と私が戦っている時、ふと見ると5
メートル程下流では、雪来君がお父さんからもらった棒で、なにや
ら水中をうかがっていた。靴が見えると言う。
それを聞いて主婦連はかけつけるワ、ヤジ馬は見に来るワ、サオ
ダケ屋は売りに来るワ(・・これはきのうのことだったか)天上沢のあ
のあたりは大騒ぎとなった。
ヤレ、石と靴を見まちがえてはいけない。水に入ってはいけない。
サケ飲んではいけないの猛反対の中、ナナナント ナントットッ
トッ、雪来君は棒で靴を釣り上げてしまった! 私は35メートル程
とび上がりたかった。
題してこの”天上沢靴流の珍”は、雪来君にいろいろ教えられる
ハプニングであった。
さあ、何かにつままれたような不思議な気持ちで出発。
今度は左岸となった。
天上沢に入ってからは、はっきり難路になったが、パーティーは
順調に前進した。
私達は騒ぐ流れを足元に見ながら、ある時はヒラグモとなって岩
にへばりついていた。そして又、ある時は猿の群となって素早く木
の根っこを越えて行った。本当に楽しかった・・・・。坪山さんは怪し
い所に来ると、いつも進み易い道をみつけてくださった。
幾つかの難所を過ぎるうち、気がつくとパーティーの速度はグン
と落ちていた。どうしてこんなにゆっくり歩いているのかナ・・と思
いつつ、やがて川原に下りた。休憩。
渡渉地点から長い間歩いたので疲れていた。私は腰を下してカロ
リーメイトと水を補給して体をやすめた。
空はドンヨリ曇って時計を見ると三時半だった。
あとひと頑張りで去年下ったビンボー沢も見えて来るだろうか、
それとも、まだもっと先か・・。長い間沢筋の同じような所を歩いて
いるので、どのあたりまで来たのか見当がつかない。
リーダーのハプニング
さあ、疲れもとれた、出発! 歩き始めて、坪山さんが先ほどの
通過地点のルートファインディングでコースを一段上によじ登った
時、胸のあたりをねじって痛めておられると夫人からお聞きした。
これで遅くなった原因が解った。
大丈夫だろうか、我慢強い方と伺っているだけに心配だった。
私達はゆっくり歩いた。そして今想い出しても一番きついトラ
バース地点に来た。
足元がスッポリ落ちて、えぐられたようになっている。下の方に
木があるから、すべり落ちても止まるけど、はい上がるには体力を
消耗するだろう。でも私はそんな時、精神力の消耗の方を恐れる。
始めは針金が付いていた。でもそれから先はわずかな突起を手さ
ぐり、足さぐりで見つけながら緊張して、長いトラバースを一人づ
つ通過した。
坪山さんのお顔は蒼白であった。
私はどんなに痛んでおられるのか判った。この山中で何の手当も
出来ないのが本当に残念だった。
しばらく行くとヤブが出て来て、遂に道の様相が変わった。
もうビンボー沢の近くまで来ていると言うことか・・・・。背よりも
高いヤブをかき分けて歩いているうちに、暗い鉛色の空は雨になっ
た。小降りだけど雨具をつけた。
この時になって、やっと坪山さんの荷物をお持ちする事に気が付
いた。
何も手当ができないとしても、何故、もっと早く気が付かなかっ
たのか未だに解らない。ボーッとした部分があったのか、私のウイ
スキーも持ってくださってるのに、本当に申し訳ない気がした。
「お持ちしましょう」と言うと、本人はワラジ一足しか出してくだ
さらなかった。
雨はすぐにやんだ。
踏み跡を拾って進むうち、やっとの事で行く手に懐かしいビン
ボー沢が見えた時は、様相が変わり始めてから一時間余り過ぎてい
た。ヤレヤレ、テント場まであと一時間程・・・・。
夕暮れの谷間を、パーティーは只モクモクと歩いた。テント場着
七時。
早速、相田さんと坪山夫人が水をとりに行ってくださった。
思えば緊張の長い一日であった。よくここまで歩いて来られたと
思う。木々が夕闇に沈み始めた川原でツェルトを張りながら、私は
幻想の世界にいるような気がしていた。
テントも張って用意は整った。
月の光はまだこの谷間には訪れて来ないが、今宵の宴は六人の山
へのあつき想いの証。私達はコッヘルに酒を注いだ。
気になるのは坪山さんの様子である。いつもと変わらないように
見えるけど、痛みをこらえておられるのだろう。
突然「あすの北鎌は見合わせる」とおっしゃった時は驚いた。
まだ、今晩休まれたら痛みはとれるのではないかと私は思った。
でも若し、御夫妻がエスケープされるのだったら、パーティー全員
で行動を共にするという案を申し上げた。
この場合の全員撤退はパーティーを組んだ者の鉄則だし、私にも
大変都合がよいから・・・・。
でも坪山さんと篠宮さんの間で、話は決められていたようだった。
「それでは坪山さんが負担に思われるから、ぼく達は登りましょう」
と、篠宮さんはおっしゃった。篠宮さんの”ぼく達”はショック
だった。私は遂にエスケープを言い出す機会を失った。その瞬間、
出発前から私にとりついていた分裂症のバケモノはおちた。登ろう
と決めて気がスッと楽になった。
闇にとけ込んで遅くまで飲んだ。虫が鳴いていた。
北 鎌
深山冷気 円座美酒
ノ
望遙遙 再訪来 亦遙遙
ビネタル
今宵宿 太古境
ス ノ
《作者自らの解説》
これは、こー深山の冷気がジ〜ンと伝わって来て、
円座の美酒をホーフツとさせるなかなかの出来ばえだ
と思う。
以前、私は山小屋に於ける「便所の賦」という作品
をものしたが、この最近の力作「北鎌」では、太古境
とおおらかに、堂々と結ぶあたり、なかなかの進歩を
示しているのではないだろうか?
11時就寝
惜 別
八月二十八日。
五時起床。人間が一番早起きのようだ。
夜露を含んで自然はまだ静かに眠っている。いよいよこれから北
鎌に登ると思うと身がひきしまる思いがする。
テントを撤収するうちに夜が明けて来た。ゆうべ三時頃目が覚め
た時、ライトのような強い月の光がツェルトを包んでいたので、今
日は一日晴れるだろう。
坪山さんはやはり無理らしい。
ひと晩休まれたら痛みはとれると望みを持っていたけど、御夫妻
でビンボー沢からエスケープされる事になって本当に残念だった。
何か役に立つ事があれば喜んでさせていただくけど、御夫妻は私
達四人が無事縦走する事を一番望んでおられるのが解るから、私は
精一杯頑張ろうと思った。そしてお二人の無事を心から祈っていた。
六時、北鎌組は篠宮さんをリーダーに出発。ここでパーティーが
二つに分かれるのは複雑な気持だ。私はずっとエスケープの事を考
えていたけど、言い出さなくてよかったと思った。北鎌沢入口でふ
り帰ると、テント場にとり残されたようにポツンと立って手を振っ
ておられるお二人は、本当に淋しそうだった。
沢の入口から少し入った所で、いよいよ北鎌沢の登りが始まった。
眉を圧する樹林の山はだにできた沢道は、とにかく最後まで胸つ
き八丁の連続だ。そして稜線に出たら、私がアルプスに登り始めて
からいつも別格として視界に存在して来た北鎌尾根の縦走が待って
いる。大自然が神の造形だとしたら、それは荒ぶる怒りを表わして
槍が岳へとつき上げるすさまじい稜線だ。
この苦しい一日、篠宮さんは又私のツェルトを背負ってくださっ
た。本当に私は御好意に甘えてしまっている。
しばらく登るうち右俣に出た。
見上げると遙かな彼方に小さくくぼんだ窓が見える。あそこまで
登ると思うとガックリ。でも登る時はいつも我慢の連続だと思って
一歩一歩ゆっくり登った。
雪来君にはこの登りもこたえないらしく、このあたりから休憩以
外、私達は別行動になってしまった。無理もない、私達が遅すぎる
んだもの。三人でエッチラオッチラ登って行って、今や遅しと待っ
ていてくれた雪来君と一緒に休憩する。そして休憩が終わると、彼
はカモシカのようにサッと消えるというパターンになった。しばら
くして、思わぬ遠くに雪来君の赤いシャツを見付けて、私はいつも
驚かされていた。
そしてこの日、昼過ぎ30分程先の岩場で、さっき私達を抜いて
行った単独行の青年と二人でルートファインディングしている姿を
見たきり、先行している彼に遂に追いつけないで、私達は雪来君の
身を案じながら稜線でビバークする事になる。
篠宮さんの御心配は如何ばかりであったろうと思う。
そんな事は予想もしないで、私達三人は長丁場なのでバテないよ
うにマイペースで登って行った。
右俣に入ってしばらくして足元に涌き水が度々出てきた。水場で
息を吹き返しては又登った。時々、雪来君が待っていてくれた。
ふり返り、ふり返り急角度の単調な登りが続く・・。
ふと「私はもう半分登りました」と言った。相田さんは後ろの山
で計って、「いや、まだ3分の1ですよ」とおっしゃった。私の目
にもやはり3分の1にしか見えないけれど、何故かあの時私は”半
分登った”と言いたかった。
登り続けて、やっと半分の高さになった。
きのうまで空を覆っていた雲はどこへ行ったのか、今日私達の頭
上には一片の雲もない。振り向くたびに眼下に静寂の大自然は広が
りを増し、大天井から西岳へ続く山なみは空にくっきりと雄大な線
を描いている。
今、あの稜線に向かって必死でヤブを登っている仲間がいる。お
二人は大丈夫だろうか・・。私はヤッホーと2度ほど呼んでみた。声
はすい込まれて行った。
さらに苦しい登りは続く。
六・七合目位まで消えては又表われた水場は、私達を励ましてく
れているようで本当にありがたかった。でもさっきポリタンを満タ
ンにしてからもう水場は消えた。
立ち止まっては仰ぎ見ながら、あとひと頑張りと思って登るうち
小窓は近くなって来た。そこで休んでいる雪来君も見える。
樹林帯を抜け出た所で、こんどこそ本当にあとひと頑張りなのに、
私の足は遂に進まなくなった。
篠宮さんも相田さんも同じようだった。お花畑のすべりそうな斜
面を顔をゆがめ、死にながら、往きながら私はやっとのことで鞍部
辿り着いた。疲労の極であった。
登り初めから四時間かかった。
大休止
私はあい変わらずのカロリーメイトを水で流し込んでいた。ふと横
目で見ると、相田さんのザックから巨砲が出てきた。私は思わず目を
疑って驚きを禁じ得なかった。
まだ次から次へと、ウメボシやキッコーマンのニンニクの醤油漬
けのビン詰めまで出て来た。あの時のニンニクの味を忘れられないで、
私は山から帰ってスーパーをあちこちさまよい歩いた。友達は、
「そしたらキッコーマン醤油にニンニク漬けたらど〜お」
と、言うけれど、あの古今東西南北の味はそう簡単に再現できる
ものではない。
雪来君には、
「ゆうべおいしいと言ったからあげる」
と、又私は卵の煮つけをもらってしまった。もうおいしいと言っ
てもいただけない。あれが彼が残していた最後の卵だったのだから。
そうだ! あの卵は半分相田さんの胃袋に納まったんだった。食
べ物の事はよく覚えている。美味・珍味・フルーツ付きの豪華なメ
ニューにありついて、私は又元気になった。
大満足で記念撮影。
さあ、出発!
今度は気になる目の前の大きな独標だ。
はい松を分けてはりきって登り始めたとたん、体がさっきの疲労
を思い出した。無理はできない。独標を右にまいた所でパッと槍ヶ
岳が目に飛び込んで来た。まさに感激だった。北鎌尾根から槍を見
た!
でもここで感激にひたってはいられない。槍はまだまだ遠い。あ
そこまで四・五時間はかかるだろう。時には右に左にまきながら、
私達は三百六十度山なみのまっただ中の岩尾根を越えて行った。
右下に千丈沢も見える。足元には時々、はっきりした道まででき
ているので安心していると、ギクッ! さすが北鎌、墜ちたら終り
という迫力ある所に出た。そんな所が二・三ヶ所あった。私は独標
と槍の中間部分の天上沢側の長いトラバースの所が一番恐かった。
時間をかけて慎重に通過した。
・・・・大分疲れて来た。
ザックを下して休憩すると、放心したように全身の力が抜けて行
く。
手足をなげ出してぼんやり見ていた空の奥の黒い点は、急降下し
て鳥だと判った。あの鳥は空を泳いで、私よりも、もっともっと高
い所からこの山なみを見下ろしていた。
人間がいくら威張っても、身ひとつであのまねができる時はこな
い。鳥は餌を獲る時以外にも急降下するのかしら・・。今のは、久し
ぶりの青空に、思わず「生」の歓喜を感じて急降下をやったのかも
知れない。私も鳥だったら、こんな日は何度でもやりたくなるだろ
う。
でも、人間だって鳥と同じ事をしている。
こうして山に登るという事は、獲物を求めて風や花と交わした野
性時代の歓喜の記憶が残っているからかも知れない・・。
よく解らないけど出発。
ビバーク
休憩が多くなって来た。
歩いても歩いても槍ヶ岳は遠い。
はじめ槍の山荘に着くのは日没ギリギリだろうと思っていたけど、
そのうち今日中に着くのは無理な気がして来た。
雪来君の事が気になり始めた。
三人とも相当疲れているから急げない。何カ所かルートワァイン
ディングしながら進むうち、篠宮さんの歩調が乱れてお疲れが目
立って来た。私のツェルトを背負ってくださってので出していた
だくようお願いしたが、遂に出してくださらなかった。そしてご自
分の食糧は山荘に着いたらいらなくなるからと言って岩の上に置か
れた。
雪来君に追いつこうと私達は休まず歩いた。視界が変わるたびに、
先行している彼の姿を捜した。でも、三時半頃だったか、もう一人
の青年と二人で岩場にいる姿を遠望したきり、夕暮れ迫る頃になっ
ても私達の行く手に人影を見つける事はできなかった。
彼は何処にいるのだろう。雪来君と別々にこの稜線でビバークす
る事はできない。
篠宮さんはもうフラフラだった。
篠宮さんをバテさせた原因は私にある。きのうから私の荷物を背
負ってくださってるから。私はツェルトを出してくださいと何度も
お願いしながら歩いた。
日没との戦いだった。
足元が見えにくくなった頃、チムニーの下に来た。
篠宮さんは細い岩の間を力をふりしぼって登られた。本当にどこ
から力を出されたのだろう・・。次の私には何度やってもつかまる岩
が判らなかった。チムニーのほかにも道はあると思うけど、岩の判
別ができなくなった。
暗くてもう進めない。ここでビバークと決定。
遂に私達は雪来君に追いつけなかった。
彼はテントを持っているのか、槍の方で音はしないか、かすかな
気配でもつかもうと、ヤッホーの呼びかけはしなかった。
篠宮さんはチムニーの上で、相田さんと私は下でビバークする事
になった。
もう槍のすぐそばまで来ているはずだと思った。私は岩がガラガ
ラ落ちる音と悲鳴を恐れた。でも耳を澄ましても岩屑一つ落ちる音
はしない・・という事は、彼はもう山荘に着いているのか・・。
機敏な驚くべき判断力を持っている少年だから、一人でこの難関
をきりぬけてくれたのだろうか・・。
いろいろ考えながらビバークの準備をした。
私達はありったけのものを身につけた。
相田さんはシュラフにもぐり込んで巨大なミノ虫おじさんとなり、
仰向けに近い姿勢で、私は太ったこじき女となって椅子に腰かけた
感じで、二人共足元が不安定だけど、これで朝を待つことにした。
槍の方はずっと静かなままだ。チムニーの上の篠宮さんも静かだ。
明け方の寒さはふるえるうちに過ぎるだろう。雨が降っても頑張
るまでだ。
雪来君さえ無事であれば、今夜の事は全てよい想い出になる。
不吉な考えでやたら心を労するのはやめて、私でのいざと言う時
には何かの役に立つから、今は力をためてリラックスしようと思っ
た。悲鳴が聞こえないかぎり、岩の墜ちる音がしないかぎり彼の無
事を信じる事にした。
相田さんと私は、眠らず語り明かしましょうと決めた。
しばらくして、私はあたたかみの残っているうちに体をやすめよ
うと思って横になった。その間も相田さんはずっと何か話しかけて
くださった。ふだん無口な相田さんがよくおしゃべりになるなと
思ってハッと気がついて、起き上がって話し続けた。
遠くに小さい明かりを見つけて、二人で注目した。
三俣(蓮華)の方向だけど、それは動いているようにも、いない
ようにも見える。今頃、道に迷って歩いている人のライトか、三俣
山荘の明りか、UFOだとしたら・・。怪しい光はいろいろ想像をか
き立て話題がうつっていった。
そのうち自然破壊の話をしていた。
人間は遂にオゾン層にまで穴をあけてしまったそうだ。私達はこ
んなにも守られているのに、環境保護の声は、加速度がついて死に
もの狂いで進む地球破壊をやめさせる事ができない。人間の欲望に
キリがあるかしら・・・・。私にはこの文明は更なる苦悩を生むものの
ように思われる。
この先、どうなって行くのだろうか・・。
静かな夜、大自然、私は涙が出るほど地球がいとおしく、哀れに
想えて来た。
神 秘 !
夜中過ぎ、槍の方から月光が照らし始めた。それは硫黄尾根の山
ひだを克明に浮び上らせて、流れる雲は月光をよぎり、その度に光
と影の大スペクトルは次々に展開して行く。
その間にも、谷間を蛇行する千丈沢はガスの白いベールで覆い隠
されては見る間にサーッととりはらわれ、まるで誰かが楽しみなが
らやっているように、神秘の姿は消えては又表われた。
夜の山は静かに、なんと美しく変化するのだろう・・・・。
この夜、私達は大自然からてい重に招待された客であった。30
00メートルの稜線にいるとは思えない。春の宵のようなあたたか
さに包まれて、声もなくただ眺めていた。
突然、冷たい光の世界に別の光がさし込んだ。それは見る間に輝
やきを増して、流れ込む洪水のように西鎌尾根の稜線から谷底まで
光で満たして行く。目を見はる次の瞬間変化して、眼下に爽やかな
いつもの山の朝があった。
このわずか20、30秒位の間に見た光の変化は、言葉によって表わ
す事はできない。
再 会
夜は明けた。守られたようなビバークだった。
相田さんと私が用意を始めた時、上から篠宮さんの声がした。そ
して少し離れた所から千丈沢の方にドンドン下って行かれた。
朝の散歩じゃなくて朝の冒険だ。でも変だなと思って見ていた。
相田さんと私はザックを背負って、チムニーのほかのルートを見
つけて稜線に上がった。
目の前に岩石累々の槍が岳があった。
やはりすぐそばまで来ていたのだ。
その時頂上で声がした。
雪来君だった!
元気な声だ。私は「三人は無事だから、安心して小屋で待ってい
て!」と叫んだ。
上で何を言っているのか判らないけど、朝の岩山に冷たい空気を
つき破って、私達は叫び合った。
篠宮さんに、雪来君の無事を知らせようと笛を吹いた。何度吹い
ても、名前を呼んでも帰って来られないので、何かあったのではな
いかと私達は心配になって来た。
捜しに行こうかと思っていたら、千丈沢の方から登って来られた。
きのう、途中で置いて来た食糧の中に、雪来君の好きな乾燥肉が
入っているので、それを取りにひき返そうとして違う方向に行って
しまわれたのだった。
「まだボーッとしてるんですネ」
と、おっしゃって、きのうからの心労が続いておられるのだった。
三人は槍に向かった。
だんだん岩峰が迫って来る。あの大迫力はどうにも怖ろしい。頂
上に小さく人の姿も見える。20分程で槍の下に着いた。
ここで墜ちてはいけないと緊張した。一ヶ所、チムニーでザック
をつり上げてもらって、あとは岩をつかんでドンドン登った。
頂上とは気がつかないで、ヒョイとオコジョのように可愛くない
けど顔を出したら、拍手が起った。
意外! そこが頂上だった。三人の女性が拍手してくださってた。
私は本当に嬉しかった。
相田さんは、
「ボクは男だから拍手してもらえない」
と、言ってひがんでおられた。
篠宮さんも登って来られた。
私は何も彼もふっ飛んで晴れやかな、はちきれそうな気分だった。
遂にやった! 大縦走だった! 青空のもと、視界の果てからお
しよせてくる山なみを従がえたような一だんと高い岩峰に立って、
私は目に見えるもの、見えないもの全てに感謝と感動を捧げた。
記念撮影をして下った。
山荘の横で、いつも私達を待ちくたびれていた雪来君が迎えてく
れた。遂にゴールイン。
私達は雪来君の無事に感謝しなくてはならない。17歳とは思えな
い彼の正確な判断力と強い精神力に、私達は救われた。
これを書きながら私は思う。
雪来君がこれから山を愛する人生をおくられるのだったら、絶対
に遭難してはいけない。如何なる時も安全を最優先に行動される事
を私は心から願っている。
坪山さんが四人の事を心配して、ゆうべ大天荘から電話をかけて
くださったそうだ。
御夫妻も無事だった!
私達はきのう雪来君の最後の頑張りの時、暗がりの中で彼と行動
を共にしてアドバイスしてくださった、神戸の単独行の青年と五人
で乾杯した。 (ピアノ教師)