わが北鎌尾根、剱岳よ おちこちの山 楽山社
第2部 劔岳鑽仰(サンギョウ)
(E872)
天界に遊ぶ
篠宮 良幸
夏の終わりに、山のさんざめきが終わった秋の始めに、今年もま
た剱岳に入る。
冬は数十メートルの積雪に閉ざされる、古えからの登山基地・室
堂(むろのどう)は広大な溶岩台地の上にある。
標高二四〇〇メートルの室堂を発ち、立山連峰南面の氷河跡、山
崎カール(圏谷)下方のお花畑をトラバースする。
雷鳥沢を渉り、ゆっくりと新室堂乗越し(のっこし)から剱御前
小屋のある別山(べっさん)乗越へ至る。
突然、きのう別れたような姿がとび込んでくる。剱沢源頭を霞う
急勾配の万年雪渓のかなたに、千代の富士さながらの精悍な金剛力
士・剱岳が厳然とそびえ、鎮座している。
岩と雪の殿堂−−人はあなたをそう呼ぶ。いく筋もの白い巨大な
雪渓のひだが取り巻き、頂上へむかって走っている。
剱沢、平蔵、長次郎、三の窓、池の谷(たん)、東大谷の雪渓た
ちよ。
南面からダイナミックな別山尾根筋が、西面からは長大な早月尾
根が、それぞれカニの縦バイ、カニのハサミの難所を抱えて頂きへ
突き上がっている。
三六〇度の剱頂上の絶景−−ちかくに後立山連峰、とおく槍・穂
も望見できる。
主稜線はさらに北方稜線となって走りくだる。長大な雪渓をあい
だに挟み、近代アルピニズムの舞台となった源治郎尾根、八ツ峰の
チンネ、小窓王の偉丈夫が”三段の陣”をしいている。
そのさらにむこうに小窓雪渓、大窓雪渓、隔絶された天国の園の
ような池の平山、池の平池塘がある。池の平小屋あたりから見上げ
る裏剱の眺めは、十月に入り、はや紅(黄)葉もおわり雪を戴くこ
ろになると、日本離れした峻景となる。
はじめて訪れた頃のように剣山域にいたると、私の心は陽光差す
渓谷の水でみそぎをする。冷たい岩に触れ、頬をあてる。
胸いっぱい吸った空気はどこまでも清澄で、岩辺に咲く晩夏の小
花が、鮮烈に目を射る。天界に遊ぶ童子は思いきり跳躍する。
眼下の雪渓はしじまを守り、中空から山峡を雲霧が変幻自在に舞
う。
やがて夜のとばりが降りて、昼の冒険者たちが寝しずまる頃、照
る月の翳げ満ち、剱は漆黒のヤミの底に瞑目する。
時に風雨強かるべし、そは亡き友の便りならむ。
日没と日の出が演出する光のページェントは、永遠の感動をよぶ
大自然のドラマ。
高空に風が鳴り、いま山上にむすばれる浄福の時よ。
剱沢大雪渓をくだると三の窓雪渓・北俣を左にわける近藤岩にい
たる。剱沢はさらに人跡まれな剱沢・幻の大滝となって落下し、対
岸から急降下する棒小屋沢と一線となって黒部川の奔流に突入し、
十字峡となる。
−−岩と雪と渓谷、いずれも日本随一といえる剣山域こそ完全無
欠な天上界なのです。
過ぐる七年前、坪山”キャプテン”、白川”長老”篠宮”マネー
ジャー”の三人は、約二十年間の剱登山の卒業式を近藤岩の前で挙
行した。淡たんと、かつ万感込めて万歳を三唱した。
剱岳に登ること、その秘めたる原体験の興奮を、どうして人に伝
えられるだろうか。躍動、みなぎり、恐れ・・そして憔忰のあとの完
全な充足感を。そこには俗界、地上にはない開放感、自由がある。
その秘蹟の意味も意義づけも足跡のように後からついて来る。
(平成二年三月)