わが北鎌尾根、剱岳よ おちこちの山 楽山社
第2部 劔岳鑽仰(サンギョウ)
(E872)
私と剱岳
坪山 淑子
一枚の写真
昭和五十七年の夏は、ことのほか集中豪雨が多く、各地で水の被
害が続出していた。
私が今の家に引越した時も、連日、雨模様で、小降りになった合
間をぬって、あわただしく荷物を運び入れる有り様であった。荷物
を片付ける間もなく、台風十八号が関東地方を襲い、新居での生活
を満喫するには程遠い日々であった。
しょっぱなから、そんな不運にめぐり合った家ではあるが、私が
とても気に入ったものがある。それは、狭いけれども板ばりの洋風
の部屋がある事だった。
アイボリーのクロス張りの壁は、シャンデリアの灯りで微妙に陰
影を作り出し、私は一人、ソファーに埋もれて珈琲を飲むのが、何
より楽しみとなった。
ある時、主人は一枚の”馬鹿でかい写真”を買い込んできた。そ
れには少し雪を抱いた急峻な剱岳が大きく映し出されていた。
彼は、これをどこに飾ろうかと、しばらく動物園の熊のように家
の中を歩き回った後、洋間の壁に掛ける事を勝手に決め、私のお気
に入りのクロスの壁は、剱岳に占領されてしまった。
それからというもの、わが家に見えたお客様は、ひとしきり、山
の素人談義を聞くはめになった。
「このノコギリの刃のような険しい岩稜が八ツ峰、ここの谷間が長
次郎雪渓で、この尾根の向うが三の窓雪渓、その向うに池の谷(タン)が
あって・・・・・・今年はこの雪渓を登って、この尾根のここをこう巻い
て・・・・・・」
彼はソファーの背もたれの上に登って、一つ一つ指差しながら、
微に入り細にわたって説明しているのだ。
お客様がアクビを噛み殺している事など、露ほども分らずに、次
第に彼のボルテージは上昇して、最高潮に達すると、いよいよ三十
年前の古いアルバムの登場となる。
セピア色に変色しているその写真には、鳥打帽にだぶだぶのズボ
ン、大きなキスリングを背負った得意気な学生が写っている。当時
としては、きっと流行の最先端を行っていたのであろう事が一目瞭
然だ。
「私の知らない時代の知らない世界」
嫉妬とも憧れともつかない想いで、私は彼の写真に見入った。
『点の記』との出合い
梅雨が終って、燃えるような太陽が顔を出す頃、彼とその仲間
(白川さん、篠宮さん)は、夢遊病者のごとく剱岳へと出掛けてゆく。
私はというと、例年、子供二人と仲良く海水浴と洒落こんでいた。
ある年の夏、私は彼の蔵書の中から、新田次郎著『剱岳・点の
記』を見つけた。
見つけたと言うより、遭遇したと言った方が正しいと思う。私は
家事も忘れて、これを読みふけった。
身体の中を稲妻が走り、強烈な刺激が私の脳を冒していく。大き
く変化してゆく自分自身が分る。
まるで、ブレーキの利かない機関車が、ゴトン ゴトンと坂道を
下り始めてしまった様だ。
私はついに目覚めたのだ。『点の記』で目覚めてしまった様だ。
彼の言っていたとおり、剱岳はやっぱりスバラシイ山なのだ。
来年の夏は、かならず、私も連れて行ってもらおう。誰が何と
言ったって構いやしない。何遍でも拝み倒してみよう。そして、必
ず剱岳に登るんだ。
今は女人禁制の山なんて、ない筈なんだから・・・・・・。
剱岳、初登頂
昭和六十年八月、私は一晩の夜汽車から下りて富山駅頭に立った。
町はまだ、深い眠りの中だ。駅舎の中だけが明るく浮び上っている。
山男達が右往左往している。でも、活気があるとは言えない。み
んな夜汽車で着いたばかりで、体がとても重そうだ。
ここからは、富山電鉄、ロープウェイ、バスと乗りつぐ。
朝七時、やっと、室堂平に着いた。
天気は最高、輝くばかりに山々が光っている。
眼前に台型の立山が迫り、剱岳への最短コース・雷鳥沢のジグザ
グのルートもはっきりと見える。
ズンと身の引き締まるものを感じる。
身支度だけは一ぱしのアルピニストだが、「弱音を吐かないで行
こう」と己れに言い聞かせる。
剱岳の主と言っても過言ではない篠宮さんと主人を筆頭に、総勢
九名の大世帯で、まず、立山目指して出発した。
今回の山行きは、立山の雄山を経由して剱岳、池ノ平へと行く予
定である。
初心者の私はキャプテンの次について、私の歩調に合せて歩いて
もらった。
下界で偉そうな事を言っていても、山では少しも通用しない事を
すぐに悟った。
額から汗がふき出す。背中も汗でグッショリ。
「少し休みませんか」と 言おうかと思う。でも「弱音は吐かない
と言ったじゃないか」と、違う自分が答える。
チングルマのお花畑を横目で見ながら、一の越に着いた。
みんなで缶ビールを飲む。
「うまい」−−山で飲むビールは格別にうまい。
原田さんと若山さんは、少し離れた所で足を投げ出して地に坐り
込んだ。
一瞬「私より疲れているな」と思った。
立山の山頂、雄山までのルートは、中学生の団体と前になり後に
なり進んだ。彼らは運動靴で軽やかに登っている。
立山信仰が華やかなりし頃には、成人男子の「立山詣り」が課せ
られていたというから、きっと、こんなものだったのだろうと思う。
「頑張って」と声を掛けようとしたら、逆に「おばさん頑張って」
と励まされてしまった。
二九九二メートルの雄山の頂上に至って、鹿島槍、五竜、唐松の
後立山連峰が目に飛び込んで来た。
剱岳も負けじと山容を誇っている。今日は、あの麓にある剱山荘
まで行く予定だ。
「まだまだ先が長い」と不安がつのる。
山田さんのように、花でも愛でるゆとりを持ちたいものだと思う。
彼女は路傍の花の名を丁寧に教えてくれた。
「これがチングルマよ、この背の高いのがコバイケイソウで、この
紫色の可憐な花がハクサンフウロ」
折角教えてもらっても、私の頭の中では、それらがみんな混じり
合って 覚えきれないのがとても悲しい。
大汝山(三〇一五)から富士の折立へと進み、剱沢雪渓のむこう
に剱岳がどっかりと鎮座(スワ)っているのが見える。
剱の懐に入って行くのかと思うと、胸の高なりが増して来た。そ
れと相まって、次第に自分の体の重さも感じる様になってきた。
剱御前小屋から下り、「もうギブアップ」と思った頃、ヒョッコ
リ、今夜の宿坊・剱山荘に着いた。
この山小屋は、食事は決して褒められたものではないが、ゆった
りとした風呂に入れる事と、太陽をたっぷりと吸い込んだフカフカ
の布団が使えた事は、何にも増して最高のもてなしであった。
三六〇度、大パノラマの頂上で
翌朝、まだ陽が登らないうちから、小屋の中はざわついていた。
早発ちの人達が、動き出したのだ。
私達のパーティーも朝食もそこそこに、小屋を後にする。昨日同
様、今日も快晴。
遠くに後立山連峰を見ながら 一服剱、前剱へと進む
相変らず登りはきつい。キャプテンの額に汗が光る。その雫が点
となって岩を濡らす。
休憩時、相田さんが帽子を絞ると、両手から、ザーッと汗がこぼ
れ落ちた。
かの柴崎芳太郎や、我が山岳会の創始者小島烏水も、きっとこの
岩肌に触れながら登ったのであろうと思うと、えも言われぬ感動が
漲ってくる。
岩間にひっそりと咲く名も知らぬ花達に、しばし疲れを癒しなが
ら、今夜の宿、平蔵の避難小屋に着いた。
ここは正しく避難のためのものであって、「これでも小屋と言え
るだろうか」と思う程であった。
それは、石で周りを積み上げた頑丈なものではあったが、入口や
窓には扉はなく、雨風が自由気儘に吹き抜けてゆくのである。
小屋の前は、平蔵谷が足元まで大きく切れ込み、夏場でも大きな
雪渓を残している。篠宮さんと主人は、以前、この雪渓を登った事
があると聞いて、肝の冷えるのを覚えた。それ程、急傾斜の雪渓な
のだ。
私達は荷物の片づけもそこそこに、剱の山頂へ行く事にした。
小屋の前に、垂直に切り立った岩壁の「カニのタテバイ」がある。
鎖が着いていたので、それをたよりに、「ヨイショ」と 体を持
ち上げた。空身のせいか、何なく登り切れた。
柴崎芳太郎が別山尾根からの剱岳登はんを断念したというのは、
たぶん、この岩壁であっただろうと思う。子供の頃からのお転婆が、
ここで物を言うとは思わなかった。
鎖やボルトに助けられながら、ガラガラした岩稜を踏んで行くと、
程なく小さな祠のある山頂に着いた。
三六〇度の大パノラマが開けた。
私はついに剱の山頂に立つ事が出来た。
みんなで握手を交わす。私は主人のぶ厚い手を力一ぱい握りしめ
た。私の最大の感謝の気持ちを込めて・・・・。
昨日から、ずーっと私達を見守ってくれていた鹿島槍や五竜等の
後立山が夕日に映えて光っている。
槍や穂高も見える。その又向うにも、山また山だ。
足元からは、源治郎尾根、八ツ峰、早月尾根、今登って来た別山
尾根等が、四方八方に手足を伸ばしている。
日暮れと共に下方から雲海が浮き上ってきて、一段と幻想的な雰
囲気を醸し出してくれている。
翌日は、剱の山頂から 超一級の難易度を誇る北方主稜へのルー
トを辿った。
池の谷では、本当に肝を冷し、小窓の王では、「二度と、こんな
所へ来るのはよそう」と決心するなど、恐怖の連続であった。けれ
ども怪我人も出さず、無事、池の平小屋まで辿り着く事が出来たの
である。
私はいま
山とはとても不思議なものだと思う。
あれ程つらく、恐ろしい思いをしたはずなのに、私は、また剱岳
に来てしまった。きっと魔性を宿しているんだと思う。
私が初めてこの山に登ってから、すでに五年になる。
これまでに剱沢雪渓、三の窓雪渓、仙人谷へのルート、さらには、
吹雪の中での真砂沢からの剱御前小屋経由の下山等も体験した。そ
して今年、長年の念願であった『点の記』と同じコース。長次郎雪
渓から剱岳へのルートを台風襲来中に踏破する事も出来た。
私は今、剱御前小屋に緊急避難している。
台風一七号が頭上を通過中で、小屋を吹き飛ばさんばかりに荒れ
狂っている。しかし、赤々と燃えるストーブの囲りには、童心に
帰った山男、山女達の笑顔が満ちあふれている。
今日、この台風の中を、岩にしがみつきながら、やっとの思いで、
この山荘に辿り着いた悲愴さは、誰の顔からも見つける事は出来ない。