わが北鎌尾根、剱岳よ おちこちの山   楽山社

第2部 劔岳鑽仰(サンギョウ)
(E872)

   劔 岳
   −−ブリザードの中の単独行
                        宮下  功

   ベクトルの法則
 一九八六年(昭和六十一年)十月、劔岳登山のベテランのパー
ティに、北アの全山紅葉の写真を撮ろうと同行させて貰った。リー
ダーは劔岳にこだわりを持ち、この山をこよなく愛し、三十五年近
いベテラン登山家坪山晃三御夫妻なので安心して、おまかせの登山
であった。
 上野駅では、夜十一時発の富山行きの席取りで、早くから並ばね
ばならず、大隅健一郎氏、喬喬女史がその労をかって出てくれた。
 なつかしい夜汽車で上野をたち、富山の早朝の冷風は頬にさわや
かだった。

 電車・バスを乗りつぎ室堂に向う。いよいよ二十数年ぶりの山歩
きとなった。まもなく素人のあやまちを感じた。背中のリュックが
肩に喰い込む。山のナナカマドの紅葉や立山三山にカメラをむけた
り、ながめたりの余裕は、ベクトルの法則のごとく、力は時間と共
に急激にドロップカーブを描いた。
 一日目は、劔御前小屋へのアプローチの岩場は呼吸法、荷の重さ、
不慣れなど全てがきつい。トップを引く坪山キャプテンもペースを
ゆるめ、ゆっくりと一歩一歩安定した歩調で登り、高橋民枝氏も
ピッタリとついて登るのが、自分の眼前からは徐々に離れて行く、
と云うより十歩歩いては休み、五歩歩いては深呼吸して、のどから
肺が飛び出しそうになるのを必死でこらえる気持がせいぜいであっ
た。
 一行にかなり遅れてたどりつく。誰だ! 平坦な山歩きなんて
言ったのは!
 しかし、山小屋で熱いラーメンにありつき、一気に喰いつき汁を
すする。人心地がついたと思いきや、「ラーメンを食べるのは早い
ね」と高橋民枝氏。この限定文言的一言は「歩きの遅き」に痛烈な
一撃であった。(後のち、話題の一つになってしまったことは言をまたな
い。)
 呼吸法は、一日目より二日目と楽になるのを感じた。
 生体は過去の産物を取り入れたり、環境との順応性で、生体も変
化して行くことを感じた。

  剱沢雪渓をアタック

 二日目は、朝から冷たい雨が山荘の尾根を叩いていた。
 坪山夫妻と松下氏の三人は、剱山頂めざして出発していった。別
ルート(注・早月尾根)で一人、山頂を目指した篠宮良幸氏と山頂
で落合う為であった。
 自分は高橋氏と山荘に残り、雨間に真砂沢ロッジ方向への剱沢雪
渓にアタックしてみた。アイゼンをつけ、ザクッ! ザクッ! と
鉄のつめが根雪をかむ音を楽しみながら、クレパスに注意して雪渓
をくだり、また、剱沢小屋方向に、細い山道をのぼる。ハイ松の中
を抜けて、剱沢小屋にたどりついたときは、雨がしぐれになり、横
なぐりの雪になっていた。

 小屋で熱いコーヒーを飲み、剣山荘に向かう岩場の道でナナカマ
ドの赤が、這松の青、ぬれた岩場の黒色によくマッチして、ファン
タジックでもあった。
 一方、坪山組は山頂で篠宮氏とドッキング出来ず、指定場所に名
刺を置き、剣山荘に下りて来た。雪は徐々に量を増していた。
 しばらくして、午後二時ごろ、篠宮氏が早月尾根コースから剱岳
山頂を経て一人下山して来た。はちまきをした頭には雪がつき、白
くヒカルものがいやに目立った。不精ひげが何か山男らしくもみえ
た。さし出された一杯の酒を立ったままグッと飲み、休憩もしない
で坪山組と一緒に、またしぐれの中を真砂沢ロッジへ向けて降りて
行った。

  剣山荘に留まる

 一方自分は、翌日、雪渓を降りて真砂沢ロッジ行きは足手まとい
になると判断して、一人、剣山荘に残った。「劔御前小屋で十月十
二日午前十一時に落合う」ことを約束した。
 劔山荘には雨でとじ込められたいくつかのパーティの中に、秋田
市の「山川内科」と記入のある水筒を持った五人パーティも、入口
付近で雨空を見上げながら自炊していた。
 十月十一日の夜、雨が雪にかわり、一人寝の窓の外に「もがり
笛」が遠く近く聴えて来た。天上からの干物と窓の雪明りは、いや
が上にも山小屋の雰囲気をかもし出した。

  ブリザードをつき独り剣御前小屋へ

 十月十二日、朝五時に起床。
 シンとした静けさの窓の向こうは何と白一色。昨日までの這松の
緑、ナナカマドの紅、茶の岩肌さえみえなくなっていた。
 雪のない静岡生れの私には、眼前真っ暗闇になった。なぜならば
手元には簡単な地図しかなく、たよりは道標と、登山道を目で確か
めて登る以外にない初めてのコースであり、初めての雪山の経験で
もあったからだ。
 時間はまだ十分ある。あせるな! とはやる心をおさえて支度を
し、自分の歩くコースに行くパーティをみつける。
 山の頂き方向に向かうパーティー三組を確認した。積雪はすでに
三十センチ、方向と足跡をたよりに、一歩一歩、先行パーティーの
足跡の中に自分のキャラバンシューズを踏み出して岩場にたどりつ
く。雪は横なぐりに吹きつけ、峡谷からは雪が逆に吹き上げてくる。
五、六分で足跡を無残に消してしまう。
 乗っ越のような山頂では、尾根づたいの道と、左斜めに下る道で
迷い、前に進んだと思われるパーティーの足跡を何回か確かめ、結
果として尾根コースは強風と雪で不安でもあり、足跡の多いコース
を選び尾根コースをさけた。
 コースは、一旦、やや下りになっていて不安を抱かせられながら、
たよりは前のパーティーの足跡で、これを見失うまいと岩かげの足
跡をみきわめながらの吹雪の山道はきびしかった。
 行く手は岩場で、一ヶ所どうしても岩を登らないと上に行けない
ところにつき当たった。

 岩場で右手、左手、左足はかかったが右足をかけるところがない。
膝を岩角につかなければならないが雨具をつけているため、万一、
膝が滑ったら体をささえきれない。時間はある! あわてるな!
と言いきかせながらも体温はどの位もつかな? 後続の登山者は来
ないかな? などと思案し、降りるに降りられず登るに登れず。
 雪はまだソフトだ、思い切って雪の岩角に膝をかける。決断まで
に結果的に八〜十分位と思うが、これで終わりかなと思う気持も手
伝い、ながい、ながい、ながい時間に感じられた。右膝を静かにつ
く、手ごたえあり。左足を浮かす、固定した! 右手の位置の移動、
固定した。やった!
 再び岩場の道さがし。しばらく歩き、偶然にも前の三人パーティ
に追いつくことが出来た。そのパーティは二人組の一人が途中若干
滑落し、後続のベテランに助けられ、その時間差が自分を追いつか
せてくれた。ベテラン氏の、さりげなく岩に印されたペンキの雪を
払いのける気配りには感心もした。
 無事劔御前小屋にたどりつけた。ビショぬれのズボンや頭から湯
気が立ち登る。若い軽装の女性は髪毛がツララになってたどりつく
山川ドクターパーティも無事到着。
 ブリザードの中で氷のつぶてをさける為、顔面に弾性巾広絆創膏
                     (ダンセイハバヒロバンソウコウ)
を貼り、目だけを出すスタイルを考案したのは流石(さすが)ドク
ター。自分も譲って貰い、これまた強盗スタイルに変身して、リー
ダーのパーティーを待つ。約束の時間は刻々と過ぎて行く、自分は
動けない。ドクターは心配してくれて「一人では無理だから一緒に
降りよう」と云ってくれるも、「待て」と云われた以上待たなけれ
ばならない。
 何か不都合があったのか、アクシデントか判らない。時間が経つ
につれ不安はつのる。嵐は止まない。ドクターパーティーは自分
(筆者)の様子からか、動こうとしなかった。沈黙の中にもうれし
さがあった。
 落合う約束の午前11時を2時間以上過ぎて、窓の向こうにリー
ダーを先頭とした雪まみれの顔をみつけた。ドクターパーティーと
もども”来た!”の声と共に迎えた表情は、喜こびの顔が涙と共に
ひきつっていたのも判らなかっただろう。
 リーダーも同じ思いで、ブリザードの中での雪中行軍であったら
しい。素人一人を残して別ルートを登ったこと、パーティーを無事
引率しなければならないこと。雪中の道さがし、また道をつくりな
がら、時間経過と疲労、全てがかさなりあい、体力的にも極限に近
い状態でたどりついた。リーダーは寒さと疲労でがたがたとふるえ
が止まらず、元気づけのラーメンの丼も持てないほどであった。

  ”下山家”の称号を賜る

 時を経た今でも、酒を汲みかわしながら山の話しが出ると、いつ
しか涙腺がゆるんだり、煙が目にしみたりする。
 下山の時だけ足取りが若干軽やかであったためか、名誉なるかな、
登山家に非らず「下山家」の称号を賜った。その名付け親は、通称
「伊藤」様であった。
 いまはこれらの想い出を、その時の仲間との肴にしている。
 翌一九八七(六十二年)六月に、用事で秋田に行く機会があっ
た。山川内科の名称しか知らず、自分も氏素性を名乗ってなかった
が電話帳で調べ、あつかましく訪問した。行きずりの一時の出合い
であったが一言お礼をいいたかった。
 山川博医博、山川内科医院長で本業の医業は当然のことだが、設
計、写真、登山、酒道等全て一級のスーパーマンであることを改め
て発見した。そして御夫婦でのすばらしいアットホームな歓待を受
けた。夜は、当時の山仲間を呼んでいただき、秋田の美酒を味わっ
たのであった。
 この登山では、素人なるが故におかした失敗が多々ある。リュッ
クの重さ、必要なものと不必要なもののより分け、底とつま先の
しっかりした登山靴、地理的条件の研究、etc・・・・
 いろいろ沢山あるが、これも、山に興味を持ち、山に登ることに
意義を感じ、山の「気」を受け、精気を養い、また明日への活力を
たくわえるべく、登ってみなければ判らない。山との出合いは、人
生にも似たものを感じ、さわやかさを体感した次第である。
                        (しん灸師)