わが北鎌尾根、剱岳よ おちこちの山 楽山社
第2部 劔岳鑽仰(サンギョウ)
(E872)
長次郎雪渓を登る
相田 浩
再び剱岳頂上に立った。
数年前は、別山尾根からの登頂であった。今回は、長次郎雪渓か
らの登頂である。前回、頂上での眺望はまことに素晴らしかった。
今回は、ガスに邪魔されて、遠くの北アルプスの雄姿をつぶさに堪
能することはできなかった。それでも時々、雲の間からのぞく山々
の姿がなつかしかった。やはり来てよかったと思った。
剱岳のような険しい山には、もう行くまいと思っていた。それが、
また来てしまった。下界の日常性の中に埋没していると、山への憧
れが、オリのようにたまってくる。山の招きに乗せられるように、
山行の準備を始めていた。
水曜会有志による今年夏の山行は、”長次郎雪渓”だという。自
発的な選択ではなかったが、決められれば、それもいいという気持
である。とにかく、今年は剱岳と再会できる。
事前に借りた新田次郎著『剱岳・点の記』を読んで、長治郎雪渓
(黒・占で点)
への関心と興味は次第に深まっていった。
明治時代、陸地測量部の柴崎測量官が剱岳の頂上に三角点を設置
するために悪戦苦闘した記録がその本には綴られていた。早月尾根
や別山尾根からの挑戦に失敗した柴崎測量官は、長治郎雪渓を選ん
で、遂に登攀に成功した。
その時、柴崎測量官を剱岳の頂上へと案内したのが、大山村のガ
イド宇治長治郎であり、長治郎谷(たん)は、彼の名前をとって命
名されたという。
毎年のように、山行の初日は、二日酔いでフラフラしていたよう
に思う。最近は節酒を心掛けていることもあって、今年は体調がす
こぶるいい。酒は五日間ぐらい一滴も飲んでいない。
八月二十四日(木)夜行の寝台車で寝ているうちに富山に着いた。
そのまま室堂へ。同行六人は、ここで大阪から来た原田さんを加え
て、総勢七人となり、別山乗越し(のっこし)を越える。途中、チ
ングルマなどの高山植物(名前を教えてもらってもすぐ忘れる)が可
憐な姿で出迎えてくれる。第一夜は、剱山荘泊まり。
八月二十五日(金) いよいよ第一目的の長治郎雪渓、アイゼン
をしっかりと登山靴に結びつけて、剱沢を下る。間もなく長治郎谷
出合。ここから剱岳頂上まで千メートルの高度差を登ることになる。
長治郎谷は、源治郎尾根と八ッ峰に挟まれている。谷は、入口は
比較的狭く、傾斜は緩いが、登るにつれて、次第に広がり、傾斜は
急になっていく。一歩、一歩、確かな歩行を重ね、自分のペースで
登れば、危険はないし、それほど疲れもしない。
先年の三の窓雪渓では、不節制がたたってか、足がつり、心臓が
ドッキン、ドッキンと高鳴り、苦労した。それに比べれば、長治郎
雪渓は、途中にある熊ノ岩から上の登りは少々きつかったが、さほ
どの苦労もなく登れた。ただ、登りはじめて間もなく、上から突然
転げ落ちてきた、二回の大きな落石にはびっくりした。
長治郎谷左俣から長治郎のコルを目指して這い上がる。八ツ峰を
眼下に見ると、すぐ剱本峰の北壁が眼前に迫る。長治郎のコルで一
息入れて、剱岳頂上まで、あとわずか。
ここで信じられないような症状が起こった。長治郎雪渓を登って
いる時はなんでもなかったが、心臓の鼓動が激しくなり、息苦しい。
やっと剱岳頂上に立った。
頂上でしばらく眺望を楽しんだあと下る。前回は緊張した例のカ
ニノヨコバイは、今回は平気だった。足場を定めて鎖を引っ張れば、
むしろ楽に渡れる。
今夜は、剱本峰直下の平蔵のコルにある平蔵避難小屋泊まり。先
客二人がすでに小屋の中に二つのテントを張って休んでいたが、七
人ともなんとかもぐり込む。
夕方までは、小屋の外でビバークできそうな天気だったが、夜が
深まるにつれ、大荒れ。小屋の破れた窓からは風雨が吹きつけ、着
られるものはすべて身にまとって、シュラーフの中で身を丸くして
寝ていたが、寒さがじわじわとしのび寄ってくる。小屋に叩きつけ
る風雨の音と寒さで、一晩中ウツラウツラとしていた。
八月二十七日(日)四国に上陸した台風17号が北陸地方に向かっ
てくるという。風雨はさらに強まってきた。これではとても、予定
していた北方稜線からの池の平小屋、とって返してハシゴ谷乗越の
コースは無理。
起きると、早速、準備をして、別山尾根を下る。周りの沢から吹
き上げる強風にあおられ、何度も転びそうになる。雨に濡れた岩角
に懸命につかまりながら、剱山荘に到着。さらに、雨の中を室堂へ
向かうが、途中の別山乗越にある剱御前小屋に泊まることにする。
濡れた衣服を乾かしながら酒で体をぬくめたら、心が落ち着いてき
た。
八月二十八日(月)晴れたら大日岳の方へ行く予定だったが、雨
はまだ止まない。剱御前小屋で数時間、模様眺め、雨が小止みに
なったころを見計らって、ガスの中を一挙に室堂へと雷鳥沢を下る。
室堂からはトンネルバス、ロープウェイ、ケーブルを乗り継いで黒
部ダムへ。「ロッジくろよん」に泊まり、風呂に入って汗を流した。
八月二十九日(火)朝、黒部湖のほとりをしばらく散策し、トロ
リーバスで扇沢へ。扇沢からタクシーで大町の山岳博物館に立ち寄
る。この博物館は昭和二十六年に開館した。三十二年には旧制大町
中学の建物が現在の高台に移築された。五十七年に現在の博物館が
オープンした。
館内には、かつて北アルプスに生息していた植物の標本や動物の
剥製が陳列されていた。今は既に絶滅してしまった動物や植物の種
が多い。岳人の友とも言える雷鳥も、氷河時代から生き抜いてきた
が、今は立山にはわずか二百五十羽くらいしか生息していないとい
う。
北アルプスの植物、動物は、人間の限りない開発欲望によってど
んどん滅ぼされていく。昔、人跡未踏の秘境と言われた黒部も、今
はすっかり観光地と化した。人間と動物、人間と植物は棲み分ける
ことがもはやできなくなったのだろうか。山岳博物館をそぞろ歩き
ながら、そんなことが脳裏をよぎった。