わが北鎌尾根、剱岳よ おちこちの山   楽山社

○若干の資料

W トレッキング・イン・ネパール

                ’87年3月 山田 チエ子記




 ヒマラヤのトレッキングというと、すごく大変な事の様に思う人が
いるかも知れませんが高度障害に悩まされるコースのある一方で、
高山病の心配もなく誰にでも歩ける楽なコースもあります。
 又、ネパールは多民族国家なので、それぞれが独自の言語風俗をもって
おり、各地域ごとに特色があるので通行許可の範囲内であれば日
数や好みにより自由にルートを設定する事も出来ます。
 むしろ一番の問題は直行便がなく、往復に4日は要するので長期の
日数が必要な点だと思われます。
 以下に今までに行ったコースを簡単に説明します。

@アンナプルナ内院 S50年12月〜51年1月(20日間)7人。
〔ポカラ・・ノーダラ・・チャンドラコット・・ガンドルン・・マキャプチャレB.C
 ・・アンアプルナB.C(3960m)〕
 歩くにつれて姿を変えるマキャプチャレやアンナプルナ連峰の展望が
素晴らしい。特に内院からのマキャプチャレとアンナプルナサウスの
ながめは迫力がある。
 アップダウンの多いコースでマキャプチャレB.Cから上は人によっ
て軽い高山病の症状が出る。

Aゴラパニ往復 S52年12月〜53年1月(17日間)9人
〔ポカラ・・チャンドラコット・・ウレリ・・ゴラパニ(2840m)・・プーンヒル〕
 ジャムソン街道の予定が悪天候で飛行機が飛ばず変更したコー
ス、ゴラパニからジャムソンの間は4日の行程
 高山病の心配はまったくなく、子供にも行けるトレッキングの入門コース、
特に年末には日本人でごったがえす。
 プーンヒルからはダウダギリ、アンナプルナのパノラマが楽しめるが、
@のコースに比べると山が遠い。
 河口慧海も通った昔からあるチベットとの交易路なので人臭いが、
山間部の人々の生活ぶりをかいま見る事が出来る。
@Aの出発点ポカラへは飛行機も自動車の便もある。この地方は
グルカ兵で知られるグルン族やマガール族が多く住み、チベットへの
ロバのキャラバンの出発点なので何十頭ものロバ達が首から下げ
た鈴をガラン、ゴロンと響かせながら行きかうさまは別世界の感が
ある。
 今はポカラ・・スイケット間(歩3時間)は乾期であればジープの相
乗りを利用できる。

Bゴザインクンド1周 S58年3月〜4月(22日間)2人
〔カトマンズ・・車・・トリスリバザール・・ターレ・・ドンチェ・・ゴザインフンド
(4310m)・・スルジャクンドパス(4640m)・・ターレパテ・・チンパニ
・・スンダリジャル・・車・・カトマンズ〕
 これもルクラ行きの飛行機に乗り込みシートベルトまで閉めながら
飛行中止となり急遽変更したコース、カトマンズに近くランタン地
方にはタマンシェルパが住む。
 ゴザインクンドは山上にいくつもの湖があるヒンズー教との聖地
で8月の満月(ネパール暦)には盛大な祭りが催される。
 この時は道路工事があったので人手が少なく数日来の悪天でコー
スに雪が多くポーターが行きたがらないので確保に苦労した。
 いつもはサブザックしか持たないのに、この時ばかりは途中から
荷物を分担した。スルジャフンドパスから先は一部では腰までの
ラッセルもありダブルボッカしたりと大変だったが、山へ登ったと
いう充実感はあった。
 心配した高山病の症状もなく、ガネッシュ、ランタンの山々が見え
ターレパテはジャガール山群の展望が開ける良い場所だった。
シェルパの話しによると花の時期は一面のお花畑になるコース。
 現在ターレまで車道が完成したので、ランタン方向へのアプローチが
2〜3日短縮された。
 又ランタン谷やゴザインフンドまでの往復なら高山病の影響も
あまりなく容易。

Cエベレストサイド S61年3月〜4月(22日間)1人
〔カトマンズ・・ヒコーキ・・ルフラ・・ナムチェバザール・・ディンボチェよりチェフン(4730m)
往復・・ロブチェよりカラパタール(5545m)往復・・タンボチェ・・ターメ・・
ナムチェバザール・・ルフラ・・ヒコーキ・・カトマンズ〕
 一度はいってみたかった所、ラマ教圏に属するのでゴンパ、チェルテン、
マニ石等をみられる高地にはヤクの群もいて、エベレストを始めとする
高峰、名峰を間近かに仰ぐ事が出来る。しかし、毎年の様に高度障害に
よる死亡者の出る危険なコースでもある。
 ヒマラヤの山々はさすがという地域だが、最近は農業だけでは食べら
れないので過疎化が進み、トレッカー相手の商売で生計をたてている人が多い。
 トレッカー達のメインルートなのでロッヂにはホットシャワーまであり、観光地
化した感じ。
 米がとれない(下から運びあげるので高価)が、ジャガイモがおいしい。
 この地方の人々はランタン地方に比べ裕福に思われるが、すべて物
価は高い。特に60年8月の洪水以後、値上がりが甚だしく、橋が出来て、物
資不足が解消しても高いままなのはいずこも同じ。
 カトマンズ、ルフラ間はよく欠航するので、フライト予備日が必要。特に冬期
には何日も待つのはざらだったが、現在は便数も増え大分緩和さ
れた(1機20人乗りのフィンオッター)。



  雑 感  −−山田チエ子−−

 ”ナマステ”ネパールの挨拶は、すべてこの一言で足りるので大変便
利な言葉である。トレッキング中もよく現地の子供達から”ナマステ”と
声をかけられるので、こちらも”ナマステ”と返す。だが、この後がいけな
い。次に甘い物、お菓子、ペン、お金等を要求してくる。向こうは何
も貰えなくてもともと、もし呉れたら儲け物位の感じだが、毎度そ
う言われる方はだんだん憂鬱になってくる。トレッカーが多く訪れ開け
た所程そうで、余り人の多く行かない所の子供達は、唯黙って物珍
らし気に見ているだけである。
 トレッキングの終わりに近く、ルクラの飛行場迄あと30分位の所迄来た辺
りで道端の花の写真等撮り乍らのんびり歩いていた。前に5〜6才位の
裸足の男の子が長い棒を持って山羊を追っていた。青洟を2本垂らし、そう云
えば最近日本の子供には、こういうのは見かけないなと思いながら歩いてい
た。傍に来ると”ナマステ”と言って棒を放り出し”ハローボンボン”と言って子供
とは思えない物凄い力で私の手を両手で握って放さない。子供の手と云
うのに、皮膚はヒビわれ、煮しめた様な色をしていた。こちらもびっくりして”ノウ”
と言って反射的に反対側の手で、その手を振りほどき、余りの汚さに、あー
手袋をしていて良かったと思った。
子供は棒を拾うと、先の方に駆けて行ってしまった。日本の子供であれ
ば毎日キチンと食べられ、学校に行けるのが当たり前と思っているだろ
う。でもここでは小さい子供でも一人前に働き、清潔な服を着て学
校へ行けるのは、ある程度余裕のある家である。
 さっきの子供は身なりからすると、ここでもどちらかと云うと貧しい家の
子供だろう。お風呂等1度だって入った事はないから汚くて当たり
前で、そう云う汚さには自分では免疫のある方と思っていた。それな
のにこの有様。
 物をやる事は良くないと思っているから、それはしないけれど、もう少
し優しい態度はとれなかったか。手袋をしていて良かったと先ず第
一に思ってしまった自分に、嫌な奴だと反省させられた。  <主婦>